みにくいアヒルの子の定理

統計学

みにくいアヒルの子の定理とは

みにくいアヒルの子の定理(Ugly duckling theorem)とは、何らかの仮定がないと、物を分類することが不可能であることを示した定理のこと。

究極かつ純粋に客観的な比較をした場合、この世のどんな物も区別がつかず、似たようなものばかりになるとした考え方です。

1969年に物理学者でイェール大学教授の渡辺慧氏が提唱しました。

 

法則うさぎ
法則うさぎ

数学的には、全てのものが「似ている」っていうやつだ。

イトケン
イトケン

キラキラのアイドルと僕みたいなオジサンも「似ている!?」

 

 

宇宙人には同じに見える?

もし、宇宙から謎の生命体が地球にやって来て、人間や地球の動物を見た時に彼らはなんと思うでしょうか。

きっとこう思うはずです。

「この星って、人間とそっくりな奴らばっかりなんだな・・」

彼らの目には、人間もチンパンジーも、ライオンも、ネズミも、ブタも全部そっくりに見えてしまい区別がつかないでしょう。

地球の動物たちを見て、彼らはこう感じます。

目が2つだし…
口は1つだし…
手足は4つだし…
みんな呼吸するし…
みんな心臓があって‥
みんな血液が流れてる…

みんなウ〇コする…
超そっくりじゃねーか!!

つまり、超客観的にみると物を区別することなんでできないとした理論のことです。

そういう私たち日本人だって、馴染みのないアフリカ大陸の人たちをみて、誰がアンゴラの人で、誰がタンザニアの人かなかなか区別することができません。でも、アンゴラやタンザニアの近辺に住んでいるアフリカの人は、なんとなく区別できるでしょう。

逆に彼らアフリカの人にとって、誰が日本人で誰が中国人かを区別することだって難しいのではないでしょうか。もちろん私たち日本人はなんとなく日本人と中国人を見分けることができます。(完璧ではないですが)

すなわち、「中国人って〇〇だよね」「アンゴラ人は〇〇しがち」「日本人は〇〇ばかりする」などなど、潜在的に何らかの仮定となる情報や思い込みを持ち合わせているからこそ、私たちは物を区別できるわけであって、純粋かつ客観的に見てしまうと全部似たようなものに見えてしまうという理論です。

 

 

みにくいアヒルの子の定理のメカニズム

そもそも2つの物を比較し区別するということは、どういうことなのでしょうか。

数学的は、何らかの比較点を設定することで2つの物の「同じところ」「違うところ」を得点していくということになります。「同じところ」が多ければ「似ている」、「違うところ」が多ければ「異なるもの」となり、一見とても合理的な方法のように思えます。

ではどのような比較点があるのか考えてみましょう。

「日本語を話すかどうか」「どんな髪型をしているか」「心臓があるかどうか」、もっと極端なところだと「有機物かどうか」「体重1kg以上かどうか」「体重2kg以上かどうか」「体重3kg以上かどうか」(以後延々と続く…)。
このように、とにかくしょーもない比較点が無限に存在します。

日本人中国人
心臓がある
ウ〇コする
有機生物である
体重1kg以上である
体重2kg以上である
体重3kg以上である
呼吸をする
しょーもない比較点が無限に存在し、同じ結果を導いてしまう。

そのため、もしその比較点の中のどれを重視するのかという情報(仮定やバイアス)が無い場合、無限にあるしょーもない比較点のうち、そのほとんどは同じ結果を導き出します。

比較点のほとんどが「同じ」という結果が出るので、2つの物はほとんど同じものという結論が出てしまうわけです。

なお、みにくいアヒルの子の定理は、童話「みにくいアヒルの子」に由来します。ご存知の通り、白いアヒルの雛たちにグレーの白鳥の雛が紛れ込むというエピソードですが、白い雛の中に一羽だけグレーの雛が存在すると、私たちは直感的に区別できます。

しかし、これも無意識に色の違いに重みを置き、違いを区別しているということになります。
ビジネスの世界では、課題や自分自身を客観視することの重要性が説かれていますが、それだけ客観視というものは難しいものとも言えます。

(参考文献)
渡辺慧「Knowing and Guessing: A Quantitative Study of Inference and Information」(1969)https://amzn.to/4apySmA

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